忍者衣装の色は?

忍者衣装は何色だったのでしょうか?それを忍者の行動実践面からと、伊賀忍者衣装.com独自の歴史的観点から検証してみたいと思います。

忍者衣装は果たして「黒」であったのでしょうか?常に黒の忍者衣装を着て行動していたのでしょうか?夜間、忍びに使用する時、または物陰に隠れる時などは良いかもしれませんが、黒は夜間でも輪郭が意外と分りやすいものです。夕暮れ時の高速道路などで、ライトを付け始める頃、黒い車と中間色の茶色や紺色などの車と、どちらがはっきり見えるでしょうか?

又、普段の活動に黒の忍者衣装は使用しにくいと思われます。忍者は忍者と特定できる衣装では都合が悪く、普段、一般の人物として行動しなくてはならない為、忍者衣装は黒と言うのは疑問を感じます。又、黒染は思った以上に染色が難しく高価なものになるので実用的ではなかったと思われ、より黒い色に染めるためには、何度も黒染を繰りかえし重ねて染める必要がありますし、より深い黒に染めるには下染め(黒に染める前に紅下、赤色に染める。藍下、藍色に染める等)をしなければなりません。その為に高価になります。

では、忍者衣装は何色だったのでしょうか?

忍術三大秘伝書の一つに「正忍記」があります。その中に「着るものは茶染、ぬめりがき、黒色、こん花色、是は世に類多ければ紛るる色なり」とあります。

伊賀忍者衣装.comでは、茶染は柿渋染で染めた「茶色」、ぬめりがきは柿渋染で染めたものを鉄分の多い水や泥で更に染めた「こげ茶色」、黒はチャコールグレーに近い黒色、こん花色は植物染料で染めた、藍染の濃紺色と分析します

これらの色は特別な色ではなく、その地方(伊賀と甲賀)の庶民が普段着ていた野良着などの色です。又、藍染、柿渋染は伊賀・甲賀で身近に採取出来る、柿及び藍の染料で染めることが出来たからです。

柿渋

写真は柿渋染で染めた柿渋色に近い色の忍者衣装になります。柿渋色は夕暮れ時には、黒の忍者衣装よりも輪郭が分りにくく、早く色が目立たなくなる性質を持っています。又、真っ黒ではないので真夜中になっても色々なものとの明度の差はないとされています。柿渋は、中国から伝来されたもので、4~5世紀頃から存在していたと推測されます。平安時代には下級の侍や、山伏が利用した「柿衣」があったとされます。又、柿を熟成させた染料で染める為、コストパフォーマンスにも優れていたと考えられます。

柿渋は、生地を強くし防水効果、防腐効果もあり、民間薬として、火傷・しもやけ・血圧降下剤・二日酔い予防、ムカデ・蜂・毒蛇など、タンパク毒の中和剤としても利用されてきました。野戦などの激しい戦いをする忍者にとって利点の多い染色で、忍者及び昔の人々の生活の知恵がうかがわれます。しかし、忍者が二日酔いになった可能性は低いと考えられます。

柿渋染は滋賀県に伝わる染色技術で、江戸時代には柿渋染を職業としていた人を「柿渋屋」と呼んでいました。毎年収穫される3年間熟成させたマメ柿などの渋柿を使用しますが、その年ごとに柿渋タンニンの含有量が微妙に異なり、又、柿渋染めは、天日で乾燥させる為、四季によって紫外線の量、湿度、温度が異なる為、同じ染色方法でも誤差を生じます。

柿渋は鉄分に反応する為、鉄分の多い井戸水などで洗うと、黒くなります。又、空気に触れると酸化するので、生地全体が濃くなります。

最初に忍者衣装は「黒」であったのか?と問いましたが、伊賀忍者衣装.comでは、忍者は最初から黒染をしていたのではなく、柿渋染が鉄分の多い水で洗う度ごとに、またそれが空気に触れ、酸化して生地が濃くなったものを着用していたと考えます。

 

これらの考えは次の「暮れ染」にも共通して来ます。


▲Ikazukin &Masuku

 

クレ色

もう一色注目しなければならない色があります。それは「クレ色」です。

写真は暮れ染のクレ色に近い色の忍者衣装の頭巾です。

暮れ染は夕暮れ時の空によく似た色になることから「暮れ染」と呼ばれました。暮れ染めは、植物染料で染めた後に、鉄分の多い田の泥などで染めたり、鉄分の多い水で洗うと同じような色、状態になります。柿渋で下染めしたものをクレと呼ばれる鉄分を含む水で更に染めることにより、ドス黒い色になります。又、藍染はより黒に近い濃紺になります。こう言う染色方法を取ることで、より生地が丈夫になり色がはげにくくなると言う特徴があります。又、真黒には染まらない為、黒の衣装よりも輪郭が分りにくい特徴があります。忍者衣装の原型は野良着でもあり、その野良着も暮れ染めであったと言われています。伊賀・甲賀地方で、その染めがよく使用されていたのいは土地柄として、もともと山や水田に囲まれた地方の為、鉄分の多い水は容易に手に入ったと言うか、クレを含んだ水が多い土地で、生活基盤そのものが「暮れ染」に適したところであったのでしょう。クレは鉄分を多く含んでいる為、独特の匂いがあり、虫除けにもなりました。

しかし、果たしてその当時の忍者や人々は、私たちは暮れ染をしていると言う意識を持っていたのでしょうか?只単に、普通に洗濯をしている間に、たまたま土地柄として鉄分の多い水で何度も洗う為、その効果があったのかもしれません。


▲NINJA isyo


▲Tekkou & Obi

尚、上記の色の説明で柿渋色に近い色、クレ色に近い色と表現したのは、それぞれの染色は柿の実で取れた液を使用し、天日で干し色を出すので、染色の上がりが一定でないと言われ、又、染色をするときの気候・温度・湿気の状態でも染上がりが、一定ではないので、柿渋染・暮れ染で染めたものでも同じ色に上がらないため、それぞれの色に近い色と表現しました。それが又、天然染料の特徴でもあります。

正藍染

そうしてどうしても忘れてはならない色は、藍染(濃紺)です。

これは植物から採れる天然染料の色になります。藍の植物が地場で採れやすく、容易に手に入りました。色は藍色(濃紺)なので、普段着として着ていても自然です。又、藍は虫除け・まむし除けにも効果がありました。しかし、どれくらい効果があったかは定かではありません。又、アメリカ西部やカナダ・メキシコのカウボーイが実用面から良くはいた、ジーンズ(インディゴ)にも共通したところがあります。藍は遣唐使によって渡来した植物と言われてもいますが、それ以前の藍染は日本原産の山藍によるとも言われています。藍は海外ではJapan Blue、又、Hiroshige Blueとも呼び、日本を代表する色とも言えます。

正藍染(天然染料)の忍者衣装

正藍染忍者衣装は限りなく本物の伊賀忍者衣装に近い生地・染と思われます。

柿渋染は滋賀県特有の染めで、伊賀ではほとんど使われていませんでした。当店の前社長(大正13年生)は、柿渋染に関しては殆ど知らなく、又、当店で長年仕立て物をされている年配(80歳過ぎ)の方もあまり知りません。それに比べ、当店では昔から藍染の生地の販売もしており、藍染の生地を行商で販売もしていました。それで、農作業用の衣服や手甲、脚絆を作っていました。藍染めの生地のことを「紺反」(こんたん)と馴染み深い呼び名で言い、常に店頭にも置いてありました。それらの事から、伊賀忍者は藍染と藍染を暮れ染した衣装を来ていたと考えられます。

藍染(天然染料)で染めた綿の生地は、着込めば着込むほど身体に馴染み、耐久性・堅牢度も強度で、忍者衣装にはピッタリの生地・染と考えられる。

正藍染の頭巾と帯

頭巾は六尺(約2m)手ぬぐい等とも呼ばれ結構長いく、頭巾以外にも色々な用途に使用されていた。


藍染伊賀袴

この袴はその当時の職人さん(大工など)が良く着用した。確かに着用してみると思った以上に動き易い。又、脚絆部分(脹脛・足首)を紐で固定するので、益々足が軽くなる。伊賀忍者が良く利用したので「伊賀袴」と呼ばれた。


正藍染伊賀袴の脚絆部分

総論

忍者衣装の色を中心に述べてきましたが、伊賀忍者は藍染、又は、それを更に暮れ染し濃紺より黒くしたものを着用していたと考えられます。甲賀忍者は柿渋染の茶色、それを更に暮れ染し、こげ茶色に近い黒ずんだものを着用していたと考えられます。それらの違いは、地形による影響もある。 しかし、伊賀忍者、甲賀忍者の境界、そして其々の忍者衣装の違いは、ユニフォームのように、はっきりしていたのでしょうか? 藍染や柿渋染、暮れ染の忍者衣装は、使い分けがされていたと言う説もあります。半月から満月の、月明かりが強い時には柿渋色を使用し、それよりも暗い時は暮れ染の黒ずんだ衣装を着ていたと言われています。

疑問としては、忍者は最初から黒染をした衣装を着用していたかどうかと言うことです。何度も述べたように、藍染・柿渋染したものを、その土地の鉄分の多い水で何度も洗っている間に、自然と暮れ染になり、色が黒ずんだのではないかと推測します。忍者は自分の体臭や汗の匂いを消すために、何度も衣装を洗ったとも考えられます。

最後にその当時、忍者が実際に着ていた衣装のことを、忍者自信がそれを「忍者衣装」と認識していたのかどうかと言うことも疑問に思います。